「孝」の碑と藤樹像
2020年3月9日 12時00分
「孝」の碑は1959年(昭和34年)に藤樹先生誕生350周年記念碑として至徳堂前に建立されました。1958年度(昭和33年度)の卒業生と在校生たちにより資金が集められ、碑の中央右側に藤樹先生像の浮彫、左側に「孝」の文字とその辞解を藤樹先生真蹟から銅版に彫り出したものです。創立80周年記念事業の一環として実施された第1グラウンドとの陸橋拡張工事に伴い、1980年(昭和55年)に至徳堂内に移築されました。創立百周年記念誌「大洲高等学校百年」より
「孝」の碑は1959年(昭和34年)に藤樹先生誕生350周年記念碑として至徳堂前に建立されました。1958年度(昭和33年度)の卒業生と在校生たちにより資金が集められ、碑の中央右側に藤樹先生像の浮彫、左側に「孝」の文字とその辞解を藤樹先生真蹟から銅版に彫り出したものです。創立80周年記念事業の一環として実施された第1グラウンドとの陸橋拡張工事に伴い、1980年(昭和55年)に至徳堂内に移築されました。創立百周年記念誌「大洲高等学校百年」より
至徳堂は、本校創立期に学んだ窪田哲二郎氏からの寄付金を基金として建設され、1939年(昭和14年)に落成しました。現在、愛媛県指定史跡となっています。中江藤樹先生の邸址にふさわしい建物として、百石取の武士の住居を模して「学舎」として建設されました。敷地の整備には当時の生徒たちが参加しました。藤樹先生御木像は1942年(昭和17年)に至徳堂に安置されました。作者の関野聖雲氏は高村光雲の高弟で東京美術学校の教授でした。この木像が国鉄大洲駅に到着した日には、大洲中学校の全生徒と教職員が出迎えたという記録があります。創立百周年記念誌「大洲高等学校百年」より
天心園は本館の南側にあり、その西隅に中江藤樹青年像があります。両方とも、創立60周年記念事業として1961年(昭和36年)に作られました。天心園のある場所には、明治40年作られた天心山と呼ばれた築山があり、その後、奉安殿が建てられていました。中江藤樹青年像は塩崎宇宙作で、藤樹先生が27歳の時に老母に孝ならんとして故郷の近江への帰郷を決意し、退任の願書を新谷藩家老佃小左衛門に提出しようとする姿を描いたものです。台座の「知行合一」の揮毫は当時の兵頭正校長のものです。藤樹先生のお顔は本校ホームページの写真として使っています。創立百周年記念誌「大洲高等学校百年」より
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大洲高校の校内には、日本陽明学の祖、中江藤樹先生の銅像等が三か所あります。それぞれどこにあるか分かりますか??
写真左:天心園「藤樹先生青年像」(塩崎宇宙作,昭和36年創立60周年記念事業として建立,藤樹先生が母への「孝」のために決死の覚悟で退任の願書を提出する姿を描く)
写真右上:至徳堂「藤樹先生御木像」(関野聖雲作,昭和17年安置,関野聖雲は高村光雲の高弟,この木像が国鉄大洲駅に到着した日には,大洲中学の全生徒と教職員が出迎えた)
写真右下:至徳堂「孝」の碑横,藤樹先生浮彫(昭和34年藤樹先生誕生350周年記念碑として至徳堂前に建立されたが,第1グラウンド陸橋拡張工事に伴い昭和55年至徳堂内に移築)